時代を超えて復刻された名作
© Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi
ラウンジチェアPK0は1952年にポール・ケアホルムによってデザインされました。当時は販売されず、1997年フリッツ・ハンセンの創立125周年記念で600脚のみ限定販売されました。しかし、それ以降は一度も復刻されていません。そのため、PK0はこれまでの販売数が極端に少ないことから、幻の作品と言われています。
座面に傾斜がついているので、吸い込まれるように体にフィットし、心地良い座り心地の一脚。体をすっぽり包む立体的な形がほどよく体を包み込み、木の椅子とは思えない程よい「しなり」があります。一見複雑そうな形ですが二つのパーツからできているシンプルな構造で、三本のしっかりとした脚に支えられて、安心感があります。
古民家にも大変相性が良い一脚。和モダンの空間にもすっと馴染んでくれます。
ラウンジチェアPK0 A誕生の秘話
ポール・ケアホルムは15歳より家具職人の工房で修行を始めました。18歳で美術工芸学校へ入学し、ハンス J. ウェグナーのもとで家具づくりを学びました。卒業制作では、現在でも販売されているPK25(ポールの代表作 ラウンジチェアPK22の元になったもの)を発表し、そのデザインが評価されて、1951年フリッツ・ハンセンに入社しました。
なお、フリッツ・ハンセンは外部デザイナーとコラボレーションして商品を制作することが多く、デザイナーが所属するのは珍しいことでした。
入社後、ポールが商品化に向けて取り組んでいたのが、今回の復刻品であるPK0 Aです。当時フリッツ・ハンセンでは、アルネ・ヤコブセンの名作アリンコチェアのプロジェクトが同時に進んでいました。そのため、ポールはPK0の考案を重ねましたが惜しくも商品化には至りませんでした。彼は在籍期間わずか1年でフリッツ・ハンセンを退社し、退社後は自宅で制作活動を続けました。
ポールの作品作りは、オファーを受け製作するようなビジネスライクなものではありません。基本的には自宅で使うものとして構想・製作されたため、彼自身が良いと納得したものだけが、商品化されています。この考え方からも、彼の作品への妥協しない姿勢やこだわりが感じられます。
ラウンジチェアPK0 Aの特徴
今回の復刻では、ラウンジチェアPK0に強度を持たせた『PK0 A』として販売されます。ポール・ケアホルムの作品には、代表作のラウンジチェアPK22のようにステンレスを用いた直線が美しいものが多いです。しかし、復刻したラウンジチェアPK0 Aは、彼の作品の中で唯一、成形合板の技術が使われています。
※成形合板とは、薄くスライスした木材を重ねて熱を加えながら型に合わせて成形する木工技術です。
2枚の成形合板の接合部分は、ポール・ケアホルムの当初のデザイン画では赤色で描かれていました。
1997年の限定販売の際には接合部分を黒色で製作しましたが、復刻品の『PK0 A』では赤色で制作し、デザイン画を忠実に再現しています。
このこだわりからも、ポール・ケアホルムへの敬意が感じられます。
カラーは前回の限定販売の際はブラックのみでしたが、復刻品PK0 Aはブラックカラードアッシュ・オレゴンパインの2色展開です。
ポール・ケアホルムの作品が日本の空間に馴染む理由
ポール・ケアホルムの制作拠点であった自宅は、親日家のハンナ・ケアホルムが設計しました。随所に日本文化が取り入れられていたので、彼の作品は伝統的な日本の空間とも相性が良いといわれています。日本の数寄屋造りは質素ながら趣のある空間が好まれ、わびさびの美しさを表現しています。ポールの無駄を極限まで取り除く作品への姿勢は、余計な装飾を取り除く日本の美に通じると言えます。
Poul Kjaerholm(ポール・ケアホルム)
ポール・ケアホルムは、1929年にデンマーク北西部の田舎町で生ました。15歳で家具職人に弟子入りし、18歳でキャビネットメーカーのマイスターの称号を取得しています。現在では金属のイメージが強いポール・ケアホルムですが、もともとは木工職人としての技術を磨いていました。その後、コペンハーゲンの美術学校に入学します。在学中Yチェアのデザイナーとしてすでに活躍していたハンス J. ウェグナーのもとで、色々な事を学び、卒業制作でPK25を制作しています。学生が作ったと思えないクオリティの高さから、現在のフリッツ・ハンセンのPKシリーズのラインナップに加わっています。
ポール・ケアホルムについて詳しく知りたい方は
こちらのブログをご覧ください。